この度、日本小児整形外科学会の2013年度Murakami-Sano-Sakamaki Asia Visiting Fellowshipに選出され、
2014年2月24日から3月8日にパキスタンに滞在させて頂きました。
Children’s Hospital Lahoreで開催された2nd Pediatric Orthopaedic Conferenceでの発表及びその後の病院研修について、帰朝報告申し上げます。
時勢柄、私がパキスタンへ行くに際して多くの方から御心配を頂きました。心よりお礼申し上げます。
現地では多くの方々の温かいサポートを頂き、トラブルに巻き込まれることなく無事に大きな経験を得られました。
今回の研修先を紹介してくださった亀ヶ谷真琴先生には重ねて深く感謝申し上げます。
【ラホール到着】
ラホール空港への到着時、夜遅くにも関わらず研修病院のProfessor Javed Iqbal御夫妻が出迎えて下さいました。
滞在期間を通し、御家族ぐるみで細やかな御配慮を下さいました。
ラホールはパンジャーブ州の州都でかつてムガル帝国の首都の時代もあり、世界文化遺産をいくつか持つ美しい街でした。
首都やアフガン国境と異なり、インド国境に近く比較的治安は落ち着いています。しかし空港には銃を持った兵士が多くいました。
ものすごく私は注視されましたが、これは不審だからではなく現地では日本人が非常に珍しいからでした。
私が宿泊した病院構内の官舎から病院への徒歩5分の往復や、病院内でトイレへ行く時ですら護衛がつきました。
病院構外への外出はJaved先生のお抱え運転手さんの車でした。これはイスラム教徒の女性は1人歩きを決してしないという習慣のためです。
文化に触れるということも今回の研修の大きな収穫でした。
【2nd Pediatric Orthopaedic Conference 2月26日~3月1日】
Javed先生はパキスタンの小児整形外科医第1号で、まだまだ小児整形外科医が少ないため、学会はdiscussionというよりも国外からのゲストによるlectureという形式で行われました。
英国、インド、バーレーン、台湾、マレーシアからの肩書きのあるゲスト達と並べ、度々日本代表みたいに私が紹介されることが非常に心苦しくて落ち着かない4日間でした。
ただ、ゲストの方々は本当に気さくで、中にはAPOAでお会いしたことのある先生との再会もあり、楽しい時間でした。
2月26、27日は学会のプレセミナーとして先天性内反足に対するPonseti法、脳性麻痺の痙性に対するボツリヌス毒素治療を、本物の患者さんを招きそれぞれ1日ずつ開催されました。
2月28日に行われた学会開会式は屋外で行われ、その周りを大勢の兵士が厳重警備し、さらにテレビ局まで来ていました。
3月1日緊張の中、私は「Orthopaedic disorders in pediatric epilepsy patients」という口演発表を無事に終えることができました。
日本では学会の昼食はランチョンセミナーでお弁当ですが、パキスタンでは屋外でカレーでした。
雨が降ってきましたが「恵みの雨」だそうで、誰も気にせず食事を楽しんでいました。そういう理由で、ランチの写真は私だけが笑っていません。
【勤務形態】
公立病院は8時から14時までの勤務時間で、それ以降は医師ごとにprivate practiceという時間になります。
自身でクリニックをお持ちの先生もいれば、私立病院での手術へ行く先生もおられます。
ある日13時20分頃に入室の患者を手術室で待っていたら、中止と知らせがありました。
その理由はその手術終了時には14時を過ぎてしまうから、と言うことでした。
主治医は患児の母親に「明日するから大丈夫だよ!」と爽やかに言っていました。大らかな国民性です。
病院内では、白衣を着ているスタッフは殆どいません。
特に女性は全員民族衣装で、イスラム文化らしく顔を隠している人も多くいました。
最初はかなり違和感がありましたが、研修後半は私も真似ていました。
【手術】
パキスタンでは頻回に停電が起こるので、手術室でも照明や透視が突然消えます。
その度に作業が中断せざるを得ないので、とにかく器械が使えるうちにスピーディに終えようと必死です。
私も1例骨折を執刀させて頂いて、電気がついた瞬間に「よし行け!」とばかりに作業を急ぎ、ワイワイと楽しい雰囲気でした。
日本では稀な5才以上のDDHの観血的整復+骨切り6件に加え、内反足や骨折など、症例はもちろん、機械や道具の恵まれない中での手術は大変勉強になりました。
英国からの先生が「昔は途上国の医者が技術を学びに英国へ来た。今は圧倒的な症例数や英国では貴重になった放置例を持つ途上国へ、英国の医者が勉強に行く」とおっしゃっていました。
【病棟】
Children’s Hospitalの整形外科病棟数をスタッフに尋ねたとき、「30+α」と言われ、それは1つのベッドを2、3人の患者が使用しているので本当はわからないという意味でした。
病棟は外傷と感染症が8~9割を占め、結核性骨髄炎も稀ではありません。
区画の無い広い道路を自動車、ロバ、バイク、そして歩行者が通るため、交通外傷が多発していることを反映し、中には股離断に至るような下肢の粉砕開放骨折の子供もいました。
ベッドはちゃぶ台のような硬い板でしたが、Javed先生の手術に御一緒した私立病院では日本で見慣れたベッドでした。
ここでも大きな貧富の差を感じました。
【外来】
国からの援助や寄付によって無料で診てもらえる公立病院の外来は、診察中も同じ部屋に2人以上の患者が待っていて、開けっ放しのドアの向こうには行列がありました。
患者数は1日100人以上で、年長児の内反足放置例を多く見せて頂きました。
一方で全額負担のJaved先生の私立クリニックは、午後から夜にかけて、20人程度の患者さんがゆったりと御両親への説明を交えながら診察されます。
ここにも貧富の差が象徴されていましたが、貧富どちらの子供にもドラえもんが人気でした。
公立病院には病室にドラえもんの風船が飾ってあり、私立病院では患者さんがキャラクターグッズを持ち歩いていました。
どういう意味か解りませんが「Doraemon!」と私を指さした3才児がいました。
【観光】
連日早朝から夜遅くまで充実した研修をさせて頂いており、手術中のJaved先生の「そういえば観光していないよね」という一声で、滞在最終の2日間の午後はラホール市内を観光となりました。
女性理学療法士のSarahさんによるガイドで、交通手段は当然professorお抱えの車です。
日本人しかもイスラム教徒ではない私は、いくつかの観光地の入り口で取り調べをされそうになりましたが(必ず兵士がいます)、その都度Sarahさんが助けてくれました。
ムガル帝国首都時代のラホール城、世界で5番目に大きなモスクであるバードシャーヒーモスク、さらには英国統治時代のゴシック建築の並ぶ通りなど本当に美しくて、ニュースで見る物騒な出来事が同じ国で起こっているのが嘘のようでした。
「昔は観光客の多い街だったけど、9.11以降は観光客の代わりに銃を持った兵士がいる」と、Javed先生の奥様の言葉が印象的でした。
誰かに見られたら怒られたかもしれませんが、仏教徒の私は思わずモスクでも手を合わせてパキスタンの平和を祈りました。
【おわりに】
文化の大きな違いに驚いたり怖がったり、自室で途方に暮れたりもしましたが、受け入れることを心がけました。
黒いイスラム女性の衣装が、今ではとても魅力的に思います。医学的・学術的なことは勿論、これから生きていく上での素晴らしいものを頂きました。
最後のMuramai-Sano-Sakamaki fellowに私を選出して下さった評議委員会の先生方、国際委員長の川端秀彦先生、2週間の不在を許可して下さった西新潟中央病院の先生方、新潟市股関節エコー検診当番を替わって下さった新潟大学の村上玲子先生、その他私がテロで吹き飛ぶのではないかと本気でも冗談でも心配して下さった全ての方々、パキスタンで出会った全ての方々へ、言葉にできないほどに深く感謝申し上げます。
西新潟中央病院小児整形外科
榮森景子