2006年度前期 Murakami-Sano asia visiting Fellowship バンコク訪問記

佐賀整肢学園こども発達医療センター
桶谷 寛

第3回Murakami-Sano Asia Visiting Fellowshipに選任され、2007年の3月24日から4月6日までタイのバンコクにあるPharamongokutklau病院及び、小児整形外科関連病院を訪問いたしましたので、報告いたします。

タイ王国はプーミンポン・アドゥンラヤデート国王を中心とする立憲君主制の国です。2006年9月に起きたタイ王国陸軍と警察による無血クーデター以降、陸軍を中心とする「民主改革評議会」が指名したスラユット・チュラーノン暫定首相の軍事政権によって国家運営が行われています。しかし、軍事政権という言葉から受けるイメージとは異なり、プーミポン国王が絶大な人気を誇っていて、町中にはプーミポン国王をたたえる肖像画があふれ、人々と話をしても人々の間には「国王がいれば大丈夫」という安心感があるようでした。
人口は6,500万人、民族構成は7割強がタイ族、1割強の中国人系、その他南部のマレー系、インド系、北部山岳地方のモン族、カレン族、などで構成される多民族国家です。町中に寺院が点在し、ほとんどが熱心な仏教徒で、南方のマレーシア国境付近にイスラム教徒が住んでいます。
仏教という宗教的な落ち着きと、「ワイ」という両手を合わせて小さくうなずく挨拶は、人々から受ける印象を非常に良くするものでした。

気候的には1年を通じて高温で、雨季と乾季がありますが、今回訪れた3月から4月は日本の真夏に当たる時期で、気温は最低で28度、最高で40度と非常に暑い日々でした。

訪問させていただいたパンコクは、タイの首都で人口は約600万人と同国の最大都市です。地下鉄(MRT)やスカイトレイン(BTS)が出来て渋滞が緩和されたとはいえ、朝夕の渋滞はすさまじいものでした。走っているタクシーのほとんどが、トヨタのカローラか日産のサニーというぐらい、町中に日本車が走っていました。空の玄関として、世界のハブ空港であるスワンナムーブ国際空港も整備され、日本からの観光客は年間100万人以上、特にバンコクでは日系の企業も多く、日本人をよく見かけました。今回滞在したPharamongokutklau病院(写真1)は陸軍の病院で、昔の宮殿の敷地を利用して作られていました(写真2)。現在新病院を建築中でしたが(写真3)、整形外科は独立した建物になっており(写真4)、新病院に入る予定はないそうです。

建物には外来、4つの手術室、装具室、病棟と全て入っており、リハビリはリハビリ科に任せ、手術室は整形専用に麻酔科医がいました。敷地内に医学校・看護学校を持ち、研修医として100~120人が応募してきて、整形外科には毎年8人の研修医が配属され、4年間の研修後、専門医試験を経て整形外科医として活躍します。
整形外科の医局は、スタッフ15名ほどでAチーム(手の外科、人工関節)、Bチーム(関節鏡と足部)、Cチーム(腫瘍、代謝性骨疾患)、Dチーム(脊椎、小児整形)、外傷チームなどに分かれていて、今回お世話になったWarat Tassanawipas先生(写真5)は脊椎を専門にDチームのチーフで、以前福岡のこども病院と粕屋新光園に研修の経験があり、非常に活動性にあふれた先生でした。滞在中のスケジュールなどはPanya Surijamorn先生にお世話になりました。

現在タイには18,000人の医師がいて(日本は26万人)、整形外科医は1,200人(日本は18,000人)、小児整形外科医は20~30人(日本小児整形の会員数1,220人)と日本と比較してもまだ少なく、当面の目標として1,500人に1人(現在3,000人に1人)を目指して教育していて、毎年全土で1,300人が医学部を卒業して半分が公立病院に勤務します。病院の整形外科の研修医システムは厳しく、年3回、4学年同じ問題でテストを行って評価し(写真6)、毎朝の術後カンファレンスも週2日は英語で行っていました(写真7)。

またバンコク市内に10の医学校・医科大学・医学部があり、そこの全研修医を集めて当番校のスタッフがケースカンファレンスを行い、1人1人研修医に答えさせるという、研修医泣かせの研修会もありました(写真8,9)。

Pharamongokutklau病院は外来1回30バーツ(約100円)、入院1回1,200バーツ(約4,000円)のみで全ての治療が受けられます。タイの保険システムは、人口の約3分の2は基本的に無料(国家負担)で、残りの大部分の人は、企業と個人が折半した基金(約100億バーツ)が支払います。そのため大病院に集中しそうですが、区域ごとに病院がある程度決まっているようで、そこから紹介されるシステムのようです。
外来(写真10)は1日200~300人で、紹介患者も多かったです。外来では、以前福岡のこども病院と粕屋新光園に研修にこられたThammanoon Srisaan先生(写真11)に主につき、小児整形外科の患者を中心に診ました。脳性麻痺の患者が比較的多く、他に内反足のギプス巻きなど見学しました。

手術も脳性麻痺筋解離術、内反肘の矯正骨切り、上腕骨顆上骨折などの小児に限らず、脊椎や手の外科なども幅広く見学させていただきました(写真12、13、14)。

朝は7時の回診から始まり(写真15、16)、8時からカンファレンスやミニレクチャー(写真17)、9時から外来または手術と過ごし、スタッフは午後4時で仕事が終了していました。

しかし公務員の給料が低く、その後ほとんどの先生が、副業で週に何回か私立病院の外来に出かけていました。私立病院の外来は午後8時くらいまで開いているそうです。研修医は病棟業務をこなし、翌日の術後カンファの準備をします。

また、他に私の所属が整肢学園ということで脳性麻痺の施設にも案内していただきました(写真18)。
入所・通所で300人ほどが利用しているそうで、ちょうど夏休み中でほとんど帰省していて、利用者は少なかったですが、非常に興味深かったです。また、驚くことに脳性麻痺の施設はタイ全土で1つしかないそうで、詳しく伺うと重症者は幼くして亡くなり、軽症者は自宅で過ごし、それ以外の人がこの施設に集まってきているそうです。とは言いながらも、まだまだ施設にも入らず、家で過ごしている人がたくさんいるようでした。
訓練士という資格もなく、話をした作業療法士は岡山の旭川療育園で勉強したと言っておりました。装具は施設内に装具専門の技師がいて、手作りで作っていました(写真19,20,21)。

その一方で、タイはシンガポールと並んで医療水準の高さを海外に商業ベースで提供していて、いくつか海外からの患者さんを専門にする病院があります。その1つ、Bumrungrad International病院も見学しました。国際機能評価をクリアした病院らしく、ショッピングモールやレストランなどを備え、ロビーはホテルのようで、受付にはアラビア語や中国語と並んで日本語のコーナーもありました。
滞在中の食事は昼夜、もちろんタイ料理でした。昼間は医局スタッフ、研修医みんなで、5~6皿のタイ料理を、自分のご飯皿にとって、右手にスプーン、左手にフォークで器用に食べていきます。基本は皿を持ち上げない、スープでも料理でも、一口ずつ分取ってはご飯と一緒に少しずつ食べていくこと。中華料理にも連れて行っていただいて(写真22)、おいしく頂いたのですがタイ風に辛い中華料理でした。ソムタムというパパイヤのサラダなど塩漬けの沢ガニが入っており、「これがうまいんだ!」と言われ食しておりましたが、最後まで体調を崩すことなく、タイの皆さんと同じものを食べておりました。しかし、私は辛いものは大丈夫ですが、タイの皆さんには完全に負けてしまいました(写真23,24)。

また、週末はタイの学会に参加する医局員とともにプーケット近くのパンガーというリゾート地に行きました。医局の半数が参加したこの学会、整形外科・リハビリテーション科の合同で、下肢について討論する会らしく、今回は足部がテーマでした。タイ語での会話なのでスライドからしか内容は把握できませんでしたが、熱い論議が行われていました。夜はバンケットがあり他の大学の先生や、リハビリの先生とお話しすることができました(写真25)。

今回のタイ滞在中、日本では診る機会の少ない放置例の疾患を見させていただき、またタイの医療の先進的な部分とこれからという部分等々、いろいろ研修させていただき、充実した日々を過ごすことができました。また、多くの施設を訪問し、現地の学会にも参加させていただき、タイの整形外科の先生と親交を深めることができました。特に滞在中何かとお世話になったPanya先生はこの5月から1年間福岡こども病院で研修する予定で、その時には私がお返しをと話しました。今後もこのFellowshipが継続され、本学会会員の方々がアジア諸国で貴重な体験を得ることができることを願っております(写真26)。

最後にこのような機会を与えて下さいました国分正一理事長、亀ヶ谷真琴国際委員会委員長をはじめとする日本小児整形外科学会の会員、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。

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