ジャカルタ バンドン訪問記
(独立行政法人)国立成育医療研究センター(整形外科)
高木岳彦
Murakami-Sano-Sakamaki Asia Visiting fellowshipに選任され, 2011年の11月18日から25日までインドネシアの首都ジャカルタとその隣町バンドンを訪問しました。
昨年度選出され、モンゴル行きを3月に予定していましたが、直前に東日本大震災に見舞われ、渡航を延期しておりました。もともとモンゴルからはメールのレスポンスが殆どありませんでしたので、国際委員長の川端秀彦先生、国立成育医療研究センターの高山真一郎先生と相談し、渡航先をインドネシアに変更して今回の訪問となりました。
インドネシアには6年前に福岡こども病院(当時)の和田晃房先生が訪問されていました1)が、それ以降数年の国内の発展は著しいものがあります。世界景気が停滞する中、インドネシアは殆ど唯一といって良いほど経済成長をしている事実がその背景にあるようです。
スカルノハッタ国際空港に到着し、ビザ発行のため25USドル(30日以内の滞在の場合)を支払い、入国審査を終えるとそこに4名ものレジデントが私を出迎えてくれました(図1)。1時間のdelayがあり、夜遅くの到着でありましたが、明るく接して頂きました。インドネシアの公用語はインドネシア語で彼らの会話はインドネシア語でしたが、ホテルまでの約1時間の行程で、英語で積極的に私に話しかけてくれ、私がどういう立場で来たのかなど聞かれました。スマトラ島出身の1人からは小児整形外科医が島に1人もいない現状を説明してくれ、日本の小児病院の症例の豊富さに興味をもち数週間でも3ヵ月でも勉強しに行くことは可能かと聞かれました。observerとして来てくれるのであればむしろwelcomeであろうと話をしました。途中で皆で軽い夕食をとりホテルに到着しました。
1. Cipto Mangunkusumo General Hospital
まず始めに訪問したのはインドネシア大学の附属病院であるCipto Mangunkusumo General Hospitalです。インドネシア大学は国内では名門でジャカルタ中心部から少しだけ西に位置します。この病院には2名の小児整形外科医Ucok先生とAryadi先生がいます。今回の滞在のプログラムはAryadi先生に組んでいただきましたが、こちらに来てまず院内を案内されました(図2)。驚いたのはこの病院はここ数年で新病棟や教育施設が建ち、非常に近代化が進んでいたことです。カンファレンスルームも立派で、後進国の訪問を目的としたこのfellowshipの趣旨に見合っていたのか不安になるほどでした。
私は早速2題日本での仕事をプレゼンテーションしましたが、そこに整形外科医が数十人集まり、しかも各プレゼンにつき主にレジデントでだけで5-6人から質問が来たことには驚きました。日本で海外の先生に講演されてもここまで議論にはならないと思います。彼らの知識欲が非常に旺盛であることを感じた瞬間でした(図3)。
プレゼンテーションの内容は、1つは高山真一郎先生、関敦仁先生より御指導頂いた手指の骨延長による治療2)や特殊な先天異常の話3)を含めた各種先天異常の治療戦略について、もう1つは内反肘の矯正骨切り4)5)についてでした。後者は内反肘の矯正の際、3次元矯正骨切りをすると接触面積が小さくなり矯正損失が危惧されるため内反矯正のみでも特に問題はないという内容でしたが、Ucok先生は外側アプローチで内側の骨膜まで切り込まずに矯正位をとれば問題ないと意見されていました。またこちらでは後に述べますようにneglect caseいわゆる骨折の見逃し症例や変形治癒症例が多く内反肘の話題は特に興味を持たれました。
病棟を案内されました。ジャカルタは交通渋滞が激しく、運転マナーも殆どないに等しいため、例えば日本人観光客が突然ここで運転を始めると危険な状況です(図4)
。そのような背景もあり外傷例が非常に多く、小児でも骨折症例をかなり受け入れているそうです。また骨折はbonesetterという日本で言う整骨院のようなところで初期治療を受けることが多く、大した治療を受けないままこの病院に来ることはよくあり、場合によっては治療に難渋することもあるそうです。また和田先生の報告1)にも結核性関節炎の患者が多いことが書かれていますが、結核性股関節炎で大腿骨頭が萎縮し高位脱臼している症例を見せていただきました。
2. YPAC (Yayasan Pembinaan Anak Cacat = Indonesian Foundation for Handicapped Children)
インドネシア市内にあるYPAC (Yayasan Pembinaan Anak Cacat = Indonesian Foundation for Handicapped Children)という肢体不自由施設に行きました。インドネシアには各所にあるハンディキャップを持つ子供に対して作られた施設です。基本的に寄付により運営されており、付設の学校は300万円もの日本のfoundationが入っています。60年近くもの歴史のある施設ということですが、ここにも新しい建物が建設されるそうです。ここではUcok先生と施設長の先生に施設内を案内されました。基本的に脳性麻痺の患者が多く、リハビリ、装具、学校などの雰囲気は日本の肢体不自由施設と大きな変わりはないようでした。作業療法室で作られたモップはこの施設の掃除に使われており(図5左)、また同様に作られたライターは実際に工場に渡して商品として売られている(図5右)そうです。
ここではcase presentationが行われ、実際の患者を前にUcok先生にレジデントの先生が病歴をプレゼンし、治療方針を述べていくという内容です。私自身も治療方針についていくつか聞かれました。Ucok先生から厳しい指導を受けていることが印象的でした(図6)。また何人かのレジデントは教科書やハンドアウトを自分のPCやiPadに取り込んでおりそれを参考に勉強していました。私が参加したときは腱切りなどは必要なく殆ど理学療法を続行するような症例ばかりでしたが、中には1歳半にして受診した内反足の症例がありました。この患者もbonesetterで治療を受けていたそうですが、このようなneglect caseは骨折のみではないようでした。
3.Hasan Sadikin General Hospital
こちらの小児整形外科医Yoyos先生に出迎えていただきました(図7)
。こちらでも同様に私の発表があり、盛んな質疑応答がありました(図8)。次に私が上肢の専門ということを聞いたのか、陳旧性の橈骨頭脱臼と翼状肩甲の6歳の男児のcase presentationがありました。
また、私に気を利かせて、カンファレンスを英語で行って頂いたと思ったら、私がいるいないに関係なく通常カンファレンスは英語で行っているそうです(あくまでインドネシア語が公用語で診察など患者、御両親とのコミュニケーションはインドネシア語です)。インドネシア語の適切な教科書が殆ど無いことも背景にあると思いますが、医師国家試験や専門医試験も全て英語で行われているそうです。
国前の最後のカンファレンスではUcok先生から感謝状を頂きました(図9)。
4. そのほか
今回1週間という短い滞在でしたが、冒頭にも述べたようにこの数年の近代化は著しく、始めに訪問した病院だけではなく、高級ブランドショップや西武、紀伊國屋などを有した富裕層をターゲットとした立派なショッピングモールが2007年に建設され、さらに新たなビルやホテルの建設が相次いでいます。しかし一方で、交通渋滞は相変わらずで、車に乗っていると食物を売ってきたり、いきなり交通整理を始めてチップを求めてきたり、物乞いも多く、バイクが沢山走っているのも車が購入できないからと、貧富の差の激しい現状を目の当たりにしました。
特にバイクが極端に多いのは特徴で、4人乗りや子供を乗せたりするバイクも見受けられました。ジャカルタは交通渋滞が激しく、運転マナーも日本の感覚からすれば殆どないに等しいため、例えば日本人観光客が突然ここで運転を始めると結構危険ではないかと思います。
私は移動はすべてレジデントの先生の車でしたので街中を出歩くということはありませんでしたが、散歩に出ようとしたら排気ガスなのか空気が非常に悪くて出歩く感じにはなれませんでした。通行人にはマスクをしている人もいました。
インドネシア人の九割はイスラム教徒で、定期的にコーランがモスクのスピーカーを通して鳴り響いていました。それは当然のことながら早朝にも響くため、いつも私はコーランで起床しました。「1週間で慣れるよ」と言われましたが、その通り、1週間で帰国した私は最後まで慣れずに早朝には必ず起こされました。
昼も夜もこちらの先生方から豪華な食事に連れて行って下さいましたが、イスラム教徒は飲酒が禁止されているため、お酒なしの会になります。それでも楽しく盛り上がっていました。私はAryadi先生に飲んでもいいよと言われたので、お言葉に甘えて、インドネシアのビンタンビールを頂きました。味はまあまあでした。
インドネシアの小児整形外科医は7名しかいないそうです。私の訪問したジャカルタのUcok先生とAryadi先生、バンドンのYoyos先生以外にあと4名しかいません。先に述べたように隣のスマトラ島にはゼロです。
また、インドネシアの整形外科医は500人との話でした。インドネシアの人口は2億4000万人と日本の約2倍ですので、この少なさは想像に難くないと思います。しかしながら、指導医のレジデントに対する教育の熱心さやレジデント自身の好奇心には学ぶものがありました。
今回の滞在では車の送迎以外にも、レジデントの先生達には非常によくしてもらいました。バンドンではAngklung(アンクルン)と呼ばれる竹製の打楽器での演奏会に連れて行ってもらい非常に楽しいひとときを過ごしました。すっかり彼らとはfacebookでもつながり、更なる交流を深めることになりましたが、ここで得た関係をこれからも大事にしていきたいと思います。インドネシアはまだ整形外科自体が発展途上にありますが、今後西欧諸国との連携を深めていけば、いつしか日本に追いつき、日本を超える国になると亀ヶ谷先生より言われていました。今回、私もそのようなものを肌で感じました。インドネシア整形外科における仕事や現状は世界に向けより発信すべきと思いましたが、この今のレジデントの世代が成し遂げてくれるものと思います。
冒頭でもレジデントの一人が日本で学びたい気持ちがあることは述べましたが、バンドンの病院でも指導医クラスの先生から日本で誰か学びに行かせることは可能かと聞かれました。もし彼らが日本の病院に学びに来た際には是非とも御指導を宜しくお願い致します。
最後にこのような貴重な経験をさせて頂きました日本小児整形外科学会の先生方、関係者の方々、特に国際委員長の川端秀彦先生、前委員長の亀ヶ谷真琴先生(滞在中に激励のメールを頂きました)、国立成育医療研究センターの高山真一郎先生、関敦仁先生、日下部浩先生、そのほかの先生方には心より感謝申し上げます。またこのフェローシップのために1週間の期間を与えて頂いた現勤務先の小郡第一総合病院の土井一輝院長を始めとする諸先生方にも感謝申し上げます。
このフェローシップは我々日本の小児整形外科医がアジア諸国との連携を深める素晴らしい機会です。今後更なる親交を期待して今回の報告とさせて頂きます。本当に有難うございました。
文献
1) 和田晃房:2005年度 Murakami-Sano Asia Visiting Fellowship ジャカルタ訪問記.日小整会誌,15: , 2006.
2) 高木岳彦,高山真一郎,日下部浩ほか:手指先天異常に対する仮骨延長法の検討.日手会誌 23:118-123,2006.
3) Takagi T, Takayama S, Ikegami H et al: Congenital shortening of the flexor digitorum profundus muscle. J Hand Surg 32-A: 168-171, 2007.
4) Takagi T, Takayama S, Nakamura T et al: Supracondylar osteotomy of the humerus to correct cubitus varus: do both internal rotation and extension deformities need to be corrected? J Bone Joint Surg 92-A:1619-26, 2010.
5) Takagi T, Yun YH, Seki A et al: A Modified Step-Cut (Reverse V) Osteotomy to Treat Posttraumatic Cubitus Varus Deformity. JBJS Essential Surgical Techniques 1(1):e3, 2011.